2023年2月7日に国枝慎吾さんが引退会見を行いました。
国枝慎吾さんが引退時、世界ランキング1位に君臨だったのです。
レジェンド級のテニスプレイヤー・フェデラーも認める、国枝慎吾さんの凄さとは、”不屈の精神”にありました!
今回は、世界王者である国枝慎吾さんの
- 国枝慎吾の車いす生活の原因は脊髄腫瘍
- 車いすテニスで世界1位
- 脊髄損傷専門施設で歩く訓練を始める
- 脊髄損傷者による歩行披露イベントで14歩歩く!
- 国枝慎吾の凄さは”不屈の精神”にあった!
について調査しました。
Contents
国枝慎吾の車いす生活の原因は脊髄腫瘍
国枝慎吾の車いす生活の原因は脊髄腫瘍
画像元:SHING KUNIEDA.COM
国枝慎吾さんは9歳の時に脊髄腫瘍により、下半身麻痺となってしまいました。
そのため、車椅子生活を余儀なくされました。
脊髄腫瘍について
概要
脊髄腫瘍とは、脊髄やその近傍に存在する神経根、脊髄を取り囲む硬膜、脊椎から発生する腫瘍のことです。一つの腫瘍を指すわけではなく、他の場所で生じたがんの転移、髄膜腫、上衣腫、星細胞腫など数多くの腫瘍を包括した病名です。
原因
脊髄腫瘍の多くは原因が分かっていません。
症状
手の麻痺やしびれ等の感覚障害が出現します。病状が進行すると、失禁や排尿障害などの症状も出現します。
さらに、脊髄腫瘍では腫瘍が存在する部位に応じた痛みを感じることもあります。引用元:Medical Note
脊髄腫瘍の種類に応じて、手術や化学療法、放射線療法などの治療が選択されます。
しかし、腫瘍をすべて取り除く事が難しい場合や腫瘍周辺の正常な神経を傷つけてしまうこともあります。
国枝慎吾さんの治療方法は明らかにされていませんが、下半身に麻痺が残ってしまったようです。
それにしても9歳で突然車椅子生活を余儀なくされた国枝慎吾のショックは計り知れないですね。
車いすテニスで世界1位
画像元:中日スポーツ 東京中日スポーツ
もともと身体を動かすことが好きだった、国枝慎吾さん。
車いすバスケットボールチームを探したましたが見つからず、母の勧めで小学校6年生の時に車いすテニスを始めました。
テニス用の車いすに乗った直後から巧みな車いすさばきを発揮していました。
驚異の才能で、高校生から徐々に頭角を表していきます。
過去の成績はこちらを御覧ください。
国枝慎吾は歩ける⁉歩行訓練で歩く姿に感動!
脊髄損傷専門施設で歩く訓練を始める
画像元:グラスコート佐賀テニスクラブ
国枝慎吾さんは2009年11月から脊髄損傷専門施設で歩行訓練を開始しました。
長年歩いていなかったため、ねじれて変形した右足を元の形に戻すところから開始しました。
主なトレーニングは筋トレとマッサージです。
・太ももの筋力を強化
・足首の柔軟性を持たせるマッサージ
2012年9月4日に放送された『報道ステーション』で、車いすから立てるようになりました!
このときの報道映像は2010年2月の映像です。
立っていられる時間は3秒間で短く感じますが、長年車椅子生活だった国枝慎吾さんからすると、奇跡の瞬間ですね!
脊髄損傷者による歩行披露イベントで14歩も歩く!
画像元:Dream News
国枝慎吾さんは2010年11月14日に開催された歩行披露イベントに参加しました。
この時に国枝慎吾さんは14歩も歩ける姿を披露しました!
国枝慎吾の凄さは”不屈の精神”にあった!
画像元:NHK NEWS WEB
世界ランキング1位を8回も記録している国枝慎吾さんの凄さは、”不屈の精神”にありました。
ひじを痛め、思うようにプレーができなかった時期があった国枝慎吾さん。
それでも、東京パラリンピックでは男子シングルス金メダルという、華々しい結果を残しています。
パラリンピックを大事に思うからこそ重圧を受け続け、苦しんでもいた。今季は、全豪、全仏、全英で優勝を逃し、焦っていたという。
国枝は「今回のキーワードとしては『オレは最強だ』と『I can do it(オレはできる)』と『I know what to do(やるべきことは分かっている)』。これを何度、鏡の前で、コートの中で言ったことか。バカみたいに何度も言いましたね。何度言ったか分からないです」と、何度も生まれる不安を叩きのめしながら前進した。
引用元:パラサポWEB
何度も生まれる不安を叩きのめしながら前進したと話す国枝慎吾さん。
引退会見では、ラケットの『俺は最強だ』の文字を外そうと思っていたことも語っています。
しかし、最高の形で引退を迎えた国枝慎吾さんは、数々の困難に打ち勝つ”不屈の精神”に裏付けらているのではないでしょうか?
まとめ
国枝慎吾さんの”不屈の精神”についてまとめました。
数々の困難に打ち勝ってきた国枝慎吾さんは、9歳で車椅子生活となり、車いすテニス選手として数々の活躍を見せてくれました。
自分を信じて、『俺は最強だ』という言葉を信じ、世界ランキング1位で引退を迎えました。
惜しまれながらの引退となりましたが、これからも様々なことにチャレンジしていってほしいですね!